10月13日に開催された、塚場地区での出前講座の上條先生のお話しをまとめました。
上野原は、「家で看取られたい」という希望が叶えられる地域です。でも、日本の財政事情が逼迫してきているなかで、公的な医療・介護サービスに頼りきりになることは、難しいのが現状です。
そうしたなか、上條先生は、ご近所の力に期待していると話します。ゴミ出しができない人のゴミを隣の人が出してくれたら、ヘルパーを使う日が1日減るかもしれません。ヘルパーがゴミを出す時間を、ほかの生活を整えるための時間に使えるかもしれません。
また、運転免許を返納して車が使えなくなると、出かけられなくなり引きこもる人が増えてしまいます。引きこもりの生活は、身体の機能を低下させ、認知症も進行させてしまうことになりかねません。
近所の人が、自分が買い物に行くついでに声をかけてそうした人を連れだしてくれたら、その人も買い物ができ、近所の人とのつながりも保てます。
地域の人の力で、認知症になっても住み慣れた場所でその人らしく暮らしていく手助けができるのです。
介護保険・医療保険は限界に
今、アンケートを取ると、看病をしてくれる人がいるなら6~7割くらいの人が自宅、もしくは老人ホームなどの施設で最期を迎えたいと答えます。でも、実際に家で最期を迎えられるのは、国の調査によれば12%くらい。しかもそのうち、孤独死、事故死、自殺が半分くらいで、最後まで丁寧に家で介護されて家族に看取られるのは5~6%です。
上野原は、その「家で看取られたい」という希望が叶えられる地域です。在宅医療・介護の体制がかなり整っている地域なのです。自宅に訪問して診療する医師、ケアマネジャー、ヘルパー、福祉用具などを提供する事業所がそろっています。市立病院では訪問看護もやっているし、われわれ診療所の医師と協力して地域の医療を良くしましょうということもやっています。
でもね、じゃあこれから先、病院や介護サービスに任せていたら希望通りの最期が迎えられるかというと、厳しいと言わざるを得ないのが現状です。
少子高齢化が進むなかで、医療保険、介護保険の担い手が減っています。昔の保険制度は、高齢者1人を数人の人が支える「神輿」型でした。しかし、今は1人の高齢者を1人が支える「肩車」型になってきています。
また、介護を必要とする人に対して、そのサービスを提供する人材も足りていません。
こうした状況において、介護保険、医療保険へ依存するのは限界が来ているのです。
近所の人の声かけが支援になる
上條先生は、「Oさんには医療と介護のサービスが入っています。でも完全な支援体制は作ることができず、看護師やヘルパーが1日に30分~1時間ほどしか入ることができません。それ以外Oさんはほぼ一人でいるという状況です。Aさんが来ることができなくなり、不安になって、ご飯を炊かなきゃ、お湯沸かさなきゃといった行動が増えるかもしれない。そうすると火事や事故も心配になります。Oさんを、ご近所のみなさんで見守ることはできないでしょうか」と、参加者であるOさんの近隣の人々に支援を打診しました。
介護保険を使って、日常生活をサポートしてもらう必要がある人は少なくありません。
でも、もし皆さんが手伝ってくれたら、ヘルパーさんが入る日を1日減らせるかもしれません。たとえば、足が悪くてゴミ出しができない人のところに、週2回ヘルパーさんが来ているとします。本来は週1回でも大丈夫なのですが、ゴミ出しの日に合わせて週2回来てもらっています。
このゴミ出しを近所の人がやってくれたら、ヘルパーさんを週1日にすることができるかもしれません。もしくは、ゴミ出しに必要な時間を、ヘルパーさんにしかできないことに使うことができるようになります。
また、今、75歳以上の方には、免許更新のときに認知症の検査が義務付けられています。それで引っかかると、免許が更新できません。さらに、事故を起こしたら危ないと家族が心配して免許を返納する人が増えています。
今まで運転して出かけていた人が免許を失うと、一気に出かける機会が減ってしまいます。特に男性はそうした結果、引きこもりがちになりやすいです。
そうなると、近所の人との触れ合いが減り、からだの機能が落ちて来たり、認知症の進行が早まるなどのことが起きてきます。
もし、「買い物に一緒に行きましょう」と声かけてくれる人がいたら、運転できなくなった人も出かけることができます。
上野原市ではデマンドタクシーの整備も進めていますが、そうした行政の仕事に加えて、地域での助け合いがあれば、税金による負担を減らして、引きこもりになる方を減らせるのではないでしょうか。
ご近所はキツイ言葉の裏に病気が隠れていることも
近所の人の声かけは、高齢者を孤立させないためにも大切です。
ときどき、すごく攻撃的な高齢者の話を聞くことがありますよね。周りが親切にしようとしても、受け入れずキツイこと言ってきたりする方。
それも、本来性格が悪いということではなく、病気であったり、事故で脳の機能が障害を受けて精神的な症状が出てきているということが少なくないのです。
認知症の方だと、ものを盗まれたという妄想が出てくることがよくあります。それも、一番親しい人が犯人になることが多い。認知症はものを覚えていられなくなる病気ですから、自分の大切なものを誰かが持っていったと、記憶をすり替えてしまいます。
一人暮らしの認知症の人は、一番親しい人が犯人になります。目の前に現れる回数が多い人が、関われば関わるほど、優しくすれば優しくするほど、犯人なります。そうするともう関わりたくないと言って、関係が途切れてしまうこともあります。でも犯人にされるということは、その人は一番近しい存在なのです。
そう思えば、もう一度関係性を取り戻せないでしょうか。
「ものを取られた」と言われたら「じゃあ、一緒に探そうか」と答えるような、そうした対応力を上げることが必要なのだと思います。
また、訪問医療をしていて思うのは、かなり進行した認知症の方でも、近所の方からは正常だと思われていることが多いということです。なぜなのかというと、取り繕うからです。認知症の人は間違えるとそれを正当化するための言い訳をします。言い訳が上手になります。取り繕うから会話は噛み合いますが、さっき誰と会ったかは忘れたりします。しっかりしているように見えて、じつは家の中では鍋を焦がしたり、火をかけたまま外出したりということもあり得ます。
認知症の人への対応力を上げる
外へ出なくなってくることも、認知症だと気がつかれない理由です。人の顔を忘れて「だれだっけ?」という経験をすると、自分も傷つくし、相手に嫌な思いをさせてしまったと自分を責める気持ちになります。また、同じことを何度も言ってしまい、「頭おかしくなったんじゃないのか」と心無い言葉をかけられたり、「それ、さっきも話してたぞ」となんて言われると、会話自体が億劫になってきて、どんどん外に出なくなって来ます。
ですから、多少おかしいことを言っていても、聞き流す、話を合わせるといったことをしていただきたいと思います。同じ話も初めて聞くふりをするとか。対応力とはそういうものです。
周りの方がそういう対応をしていれば、もう引退かなといって家で一人でテレビ見ながら過ごすという人も減り、今日のような会合に参加し続けられる方が増えるのです。
認知症の方は、思っているよりも多いのです。皆さんのなかにも認知症になる人がいるかもしれません。でも、認知症になっても、地域の人の支えがあれば地域で暮らしていられます。そうした工夫を続けて欲しいと願っています。