「救急車は呼ばないで」 看取りの思いをご近所と共有

<文:星野美穂>

認知症があり、大動脈瘤を抱えるMさん。息子さんからご近所の人に、「万が一、道で父が倒れていても救急車は呼ばないで欲しい」とお願いがありました。

Mさんとご家族はこれまでに何度も話し合い、大動脈瘤の手術はしない、破裂して倒れることがあっても、延命治療はしないことを確認しています。

その意思を尊重するためには、ご近所の協力も必要です。Mさんのかかりつけ医である上條先生に連絡してもらえれば、Mさんの希望に沿った処置をすることができます。

「ご本人とご家族が望む最期のときを過ごすために協力して欲しい」。上條先生もそう呼びかけました。

家族からご近所への「お願い」

認知症があり、大動脈瘤を抱えるMさんご家族から、近所の人たちへ、「もし父が道で倒れていても、救急車を呼ばないで欲しい」というお願いがありました。

Mさんのご長男さん夫妻の要望で、担当のケアマネジャーさんが「担当者会議」を開いてくれました。集まったのはご長男さん夫妻、ケアマネジャー、上條医師、民生委員、区長、いきいきサロン会長、他ご近所の方3名です。

<Mさんの現在の状況>

90代/男性/家族と同居

疾患名:認知症、大動脈瘤

Mさんは、心臓に大動脈瘤があります。大動脈瘤は、突然破裂することがあり、破裂すれば突然死につながる重大な病気です。年齢や体力の面から、破裂しても何もすることは出来ないと、病院の主治医から言われています。Mさんは認知症も持っており、最近おかしな言動も気になるようになってきました。

一カ月ほどまえ、家から数キロ離れたある山の沢に背負い籠を忘れたといい出し、妻と「そんなところに行く体力なんかないじゃないか」と大喧嘩になりました。しかし「どうしても、背負い籠を取りに行く」と言ってきかず、近所の人に車を出してもらって探しに行きましたが、弱って来た足では沢までは行きつけず、引き返すしかありませんでした。その後も探しに行くといってきかないため、息子のAさんと何度も山のなかを歩き回りましたが背負い籠は見つけられず、やっとあきらめたといいます。

<相談内容>

息子であるAさんは、Mさん本人とも話し合って、倒れることがあったとしても心臓マッサージや人工呼吸器をつけるなどの延命治療は行わないという意思を確認しています。

最近は一人で勝手に外に出てしまうので、Mさんが道を歩いているのを見つけたら声をかけて欲しい、そして、万が一倒れていたら救急車を呼ばずに、上條先生かケアマネジャー、もしくは家族へ連絡して欲しいということを、家族からの要望としてご近所のみなさんへお願いしました。

救急車を呼ばない理由とは

上條先生はMさんの病気について「Mさんは心臓に大動脈瘤を持っていて、それが破裂したら即死になってしまう可能性がある。一人で歩いているとき、畑にいるときに倒れてしまうこともありうる」と説明しました。

それを誰かが発見したら、普通はすぐに救急車を呼ぶでしょう。

救急車が来れば、心臓マッサージをして、呼吸を確保するための管を通して、人工呼吸器を付けます。集中治療室に入り、それで一命はとりとめられるかもしれません。でも、意識が戻る可能性はほとんどありません。

それは、命を保つ装置につながれて、植物状態のまま生きていくことを意味します。

だから、「救急車は呼ばないで欲しい」とお願いしたのです。

たとえMさんが道で倒れていても、そこにかかりつけ医が呼ばれれば、診療の経歴を考え合わせて、ご本人の希望に沿った処置を行うことができます。

ただ、それを実現するためには「ご近所の皆さんの協力が必要です」。

上條先生は、そう訴えかけました。

延命治療をしてもしなくても間違いではない

それを聞いたある住人は、「うちの母は気管切開してしゃべれない状態で3年生きたけど、本当にこれでいいのかとは考えたよ」と話しました。

「本当にどんな状況でも1秒でも生きてもらいたい、生きたいという人もいて、それが本人の希望であればいいと思う」。上條先生はそう答えました。

「家族も、その人に生きてもらっていることが自分らの励みになるから、たとえ意識が無くても息をして身体の温もりがあるだけでいい、と思える人はチューブ入れて長く生きるという選択がある。それは権利でもあるし、間違いじゃない」と話す一方で、「本人が本当にこれを望んでいたのだろうか、自分らもこれで幸せなのだろうかと思っても、一度チューブを入れてしまうと外せない」と現在の医療の現実も語りました。

どんな最期を迎えたいかを聞いておく

「そうですね。人工呼吸器で生きることを望んでいるのか、それとも違うのかも聞くこともできないし、といって器械を止めることもできなかった……」と話す住人に対して、「だから、前もってそういう状況になったらどうしたいかを聞いておくことが大切なんです」と上條先生は強調しました。

「本人が延命治療は望まないと確認できていれば、『先生、そこで手を止めてください』ということはできる。でも入れたチューブを抜くとか、人工呼吸の機械を止めることは心臓が動いている限りできないのが現状です。実際には、倫理委員会を開いて意見を聞くといったプロセスがあれば出来る時代になりました。しかし、現実には簡単ではありません。事前に想定して段取りを決めておくことは、親に対しての恩返しであり、自分もいずれはそれが起きたときの備えになる。事前意思、就活、エンディングノートなど、自分のこととして形にしておくことが重要です。それをMさんの家では準備をして、みんなに協力を求めているんです」(上條先生)。

何度も話し合って決意

Mさんが大動脈瘤と診断されたのは、93歳のときです。そのとき、医師から、「手術を受けたら絶対に寝たきりになる」と言われたそうです。それまでのMさんは、トイレに歩いて行き、食事も自力でできていました。「手術のために寝たきりの生活になるのはどうでしょう」と医師は問いかけ、Mさんも正確には理解できないまでも、「それなら、手術はしない」と答えたそうです。

それから2か月ほど、「本当の気持ちはどうなのか」を何度も家族は問いかけました。そのたびに、「手術はしない」、「やはり長生きしたいから手術を受ける」と答えが変わることもありました。ただ時間が経ち、今は、大動脈瘤があることも忘れてしまった状態となりました。

「もう、どこも痛くない世界に入ったので、よほど緊急性のある痛みなどが起こらない限り、病院へは運ばない」。家族はそう決断しました。

「いろいろありましたが、家族で話し合って本人の意思がどこにあるかを確認することは、大事なことでした」。Aさんの妻も、そう振り返りました。

ご近所への協力を呼びかけ

「だから、道で親父が倒れていても、救急車は呼ばないで欲しい」。

Mさんのご家族はその思いを近くに住む人たちへ伝え、協力を求めました。

近所の人々がMさんの状況を皆で知っておくことは、ご本人とご家族が望むように最期のときを過ごすために重要なことです。

「Mさんの治療を家族が拒否していると受け取る人もいるかもしれません。でも、これはご本人の希望を叶えるための準備なんです。家族が最高の準備をしてあげている。そこにぜひ協力して欲しい」。上條先生も参加者にそう呼びかけました。