誰かのために①〜上條武雄はなぜ在宅医を目指したのか〜

<2018年7月6日ライフプランニング講座in都留高校より 文:星野美穂>

上條医師の母校、都留高校の「ライフプランニング講座」で話した内容をまとめました。

人生の岐路に立つ高校3年生たちに、自分が在宅医を目指した経緯や、在宅で目指している医療について、事例も交えながら話ました。

「多くの大人は夢を諦めて、自分の気持ちに折り合いをつけて生きている」と上條医師は話します。

だけど「誰かのためにと誇りを持って突き進むことで、誰かのヒーローになれる」と熱く語りかけています。

みんな誰かのヒーローになれる

今日は、「命の現場で見える大切なもの」というお題をいただいていたのですが、ちょっと変更して、「みんな誰かのヒーローになれる」というお話しをしようと思います。

皆さんは輝かしい未来が待っていて、夢見ていることがたくさんあるだろうと思います。それは、一流を目指すこと、世界を股にかけて活躍すること、みんなのヒーローになること、そんな誰が見てもカッコいい人間を目指すことかもしれません。 ただ、現実問題、その夢を叶えられる人は一握りです。多くの大人は夢を諦めて、自分の気持ちに折り合いをつけて生きています。 でも、そんな人でも、誰かのヒーローになれます。カッコいい生き方ができるのです。

ありがとうと言われると嬉しいのは人間の本性

この赤ちゃん は、どうしてこんなに喜んでいるのでしょうか?

お母さんに大好きなおもちゃをもらったから?

お母さんにおもちゃを渡したら、お母さんが喜んだから?

正解は、お母さんにおもちゃを渡したら、お母さんが喜んで笑顔になったからです。

これは、NHKの「チコちゃんに叱られる」(2018年4月20日放送)という番組のなかで紹介されていたものです。専門家が「人は何かを分け与えると自分が幸せな気持ちになる、ありがとうといわれると嬉しくなる。人間はそういう感情を、言葉が話せるようになる前から本性として心の中に備えている」と解説をしていました。

つまり、誰かのために、ということが大切なのです。

止めたら負けの現代医療

私は、今、目の前で苦しんでいる患者さんの力になりたいと仕事しています。 私のクリニックは在宅診療所です。クリニックの建物はありますが、私がそこにいることはほとんどありません。朝から夕方まで、患者さんの家で診療をするのが仕事です。ですから患者さんが来ても診療できないため、クリニックの看板を出していません。

医者になった当初は、大学病院で血液透析や、腎臓が悪い方の治療をする専門分野に進みました。集中治療室(ICU)に入り、人工呼吸器をつけながら特殊な透析をする ような重篤な人の治療に携わっていました。そういう医療をICUで受けると1日50万円 くらいの医療費がかかります。それだけのお金を使っても、なんとか助けようとします。 また、患者さんにはたくさんのチューブやモニターが付いていて、家族は限られた時間しか患者さんに会うことができません。

それでも助かれば頑張ったかいがありますが、助けられない命もあります。

これ以上やっても助けられないと思っても、ここで止めたら負けだと思うと止められない。それが大学の救急医療の現場です。

限界感じた病院の医療

そんなときに、山﨑章郎先生の「病院で死ぬということ」 という本に出合いました。この本を読んで、本当に人間らしく最期を迎えるのはどうしたらいいのかということを考えました。

そして、大学を辞めました。大学の医療に自分自身の限界を感じたことが1つの理由でした。 実家が老人ホームを運営していたので、いずれはそこを継ぐことは考えていましたが、まずは地元の病院で地域医療を学ぼうと、2002年から上野原市立病院で働き出しました。

田舎だから、より生活に根付いた医療ができる、患者の思いを大事にできると期待していましたが、田舎であっても病院です。家に帰りたいと言って退院して家に帰っても、息を引き取る間際に救急車を呼んで病院に戻ってきてしまう患者さんが多数いました。 静かに枯れるように穏やかに息を引き取ろうとしているのに、救急車を呼んでしまうと救命措置をせざるを得ません。

救急隊は救命が仕事ですから、心臓マッサージや人工呼吸を施します。そうして心臓マッサージで肋骨も折れて、ぺちゃんこになった状態で病院に運び込まれてきます。それを見て、救急隊に「もういいです」と言って手を止めてもらったことが何度もありました。

無くなっていた昔ながらの看取り

医者が患者さんの家に行って、看取ってあげられるなら、こんなことにはならないのではないか。そう考えました。

昔はそうでした。30~40年前は、当たり前のように家で最期を迎えていました。 でも、医療が高度化し、老人医療が無料化していた時代は病院に行くのが当たり前、また、病院に行かないと世間体が悪かったのです。昔ながらの看取りをしなくなって、自宅での看取りを支援する医者もいなくなりました。最期のときは救急車で病院へ行くのが当たり前の地域に、上野原もなっていました。

地元の医師会の先生がたに、僕も病院で頑張るから、先生がたも看取りをやって欲しいとお願いしました。でも当時、自分も若者だったから、医師会の大先輩に意見を聞いてもらうことはできませんでした。

生物が死ぬのは世代交代のため

生物には必ず死が訪れるということは、皆さんなら当たり前に理解していると思います。ですが、小学生や中学生では、10人に1人くらいは「人間は死んでも生き返る」と思っている子がいます。リセットボタンで元の状態に戻れる、ゲームの影響なのでしょうか。

細胞は、分裂を繰り返します。だから、傷ついた皮膚が治ったり、病気が治ったりします。でも、正常な細胞は、細胞分裂に限界があります。それが老化です。もう分裂できなくなったところに死が来るのです。

どうしてこんなことが起こるのでしょう。

「個体は使い捨てられる」という説があります。 複雑になった、老化した細胞を丁寧に再構築しようとしても、コストがかかります。1つの個体を長持ちさせることは、ほかの個体や種そのものに対しては、あまり意味がありません。だから、丁寧に修復するよりも、一旦秋に枯れて種をばらまいて、その種が春に芽を出すように、次世代につなぐという説です。

これは、プロ野球選手の世代交代に似ているかもしれません。昔、大スターで5億円稼いだ選手でも、毎試合の出場が難しくなってきたら、その人に5億円を出すのはチームにとって良いことなのでしょうか。僕がオーナーなら、若い1億円プレーヤーを5人抱えたほうがいいと考えて元スターは切り捨てるかもしれません。

こういうふうに考えると、寿命は戦力外通知なのかもしれません。

死のイメージが変わってきた

それにも関わらず、医療は寿命をなんとか克服しようと挑戦してきました。どうしたら病気や老いに勝つことができるか、それが医学の発達の歴史でした。

現在でも、医療のなかの死のイメージは、最後まで戦うものであり、その戦場は病院であり、死を認めることは負けを意味しています。 でも、在宅医療が少しずつ普及してきて、死のイメージが変わってきています。

病院は、病気を治すところです。 では、病気が治らないといわれたら? 多くの人は、病院で死を待つよりも、家に帰りたいというと思います。なぜなら、大好きな孫がいる、犬や猫がいる場所だからです。家に帰ってやり残したことやりたいという気持ちもあるかもしれません。

在宅医療を学び、上野原で看取りをスタート

地域医療にくじけた感もあり、上野原を去って、2007年から横浜へ在宅医療を学びに行きました。自宅での看取りや、これから増えてくるがん患者さんの痛みや苦しみを取る緩和医療を学びたいと思ったのです。

とくに、苦しみを抱えた方は、「どうして自分だけこんな病気になったのか」「死んだらどうなるのか怖い」という心の苦しみ、スピリチュアル・ペインを持っています。その支援の仕方、スピリチュアルケアといいますが、それを学びたいと思っていました。

横浜で4年間学び、上野原に帰ってきてクリニックを開設しました。

今は年間60人くらい看取っています。上野原では年間300人くらい亡くなっているので、そのなかの15~20%は私が家で看取ることができるようになりました。

  

ここまでは、上條医師が在宅医を目指した経緯についての話でした。

パート2では、上條医師が目指す在宅医療について語っていきます。